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須賀港近く。駐車場完備。 |
【住所】平塚市札場町15-42 【電話】0463-22-0610 |
巡礼情報 |
【納経時間】9:00〜17:00 【拝観料】境内志納 |
宗派 |
高野山真言宗 |
開山 |
鎮海法印 |
創建 |
文治元年(1185年)頃 |
本尊 |
薬師瑠璃光如来 |
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コメント |
昔、弘法大師が泊宿されたと伝わる古刹。関東壇林(学問修行の寺)の一つとして教学を盛んにしたと言われる。当時は相模の国の中本寺(中心となる寺)として末寺13ヵ寺を有していたと伝えられている。平塚大空襲による本堂焼失後、2012年10月に67年ぶりに本堂が再建された。以前は唯一戦渦を免れた地蔵堂を仮の本堂としてきた。また前住職から40〜50年の間、住職不在の時期が続いていたことなどもあり、これまで復興の機会がなかったのだとか。高野山真言宗総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)直属の末寺(直末寺)として長い歴史を持ち、古くは延暦〜天長(782〜833年)の頃、弘法大師が関東巡錫 (僧が錫杖を持って巡行し教導すること)の際に伊豆の国下田から須賀へ来航し、ここに庵住して造船・航海・医療などを伝承したとされている。寅年になると相模薬師霊場第十一番札所と
して多くの参拝者が訪れるそうだ。今回本堂内に入ることができた。本尊の周りに曼荼羅(平清盛が頭の血を混ぜて描かせた「血曼荼羅」として知られる「両界曼荼羅図」の複製)や日光・月光菩薩像、弘法大師像、不動明王像、原色で再現された十二神将像が配置されていた。本堂復興を請け負ったのは、大阪に本社があり、現在は高松建設の子会社となっているが、飛鳥時代(578年)に創業されたとされる世界最古の企業として有名な金剛組。初代の金剛重光は四天王寺の建立に携わった工匠の一人と言われ、宮大工として長い歴史を持つ会社である。(2012/12/2) |
十二神将(じゅうにしんしょう)
十二夜叉大将(じゅうにやしゃたいしょう)とも言い、それぞれ七千、総計8万4千の眷属夜叉を率いて薬師如来を信仰するものを守る武神。 経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に薬師如来の名号を唱える者を守護すると約束されている。宮毘羅(くびら)、伐折羅(ばさら)、迷企羅(めきら)、安底羅(あんちら)、あに羅、珊底羅(さんちら)、因達羅(いんだら)、波夷羅(はいら)、摩虎羅(まこら)、真達羅(しんだら)、招杜羅(しょうとら)、毘羯羅(びから)の十二人が、武器を持ち薬師如来を護持している。 |