札番 |
寺院名 |
納経印 |
巡礼情報 |
第
1
番 |
仏眼山
(ぶつがんざん)
法善寺
(ほうぜんじ) |
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開山
開基 |
(西谷寺)定恵 |
創
建 |
奈良時代 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
東筑摩郡麻績村上町8147
0263-67-2061 |
御詠歌 |
逆縁も 洩らさで救う 西谷の 巡礼塔を おがむ尊さ |
麻績(おみ)村において、奈良興福寺系の寺院として創建されたと伝えられている。創建当時は法相宗岩龍山西谷寺と称していた。15世紀に廃寺となったが、明応元年(1492)に賢甫宗俊禅師を迎えて曹洞宗佛眼山法善寺となり、江戸時代には徳川三代家光から十三代家定まで年八石を賜る御朱印寺として将軍家の保護を受けた。 |
|
第
2
番 |
楊柳山
(ようりゅうさん)
宗善寺
(そうぜんじ) |
|
宗
派 |
元曹洞宗 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
江戸前期 |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
東筑摩郡麻績村上町8059-1
0263-67-2061(1番・法善寺) |
御詠歌 |
おしなめて 知るも知らぬも 宗善寺 寺へ参るは 後の世のため |
明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、寺院は存在しない。平成8年より法善寺に遷座していたが、平成12年村宝に指定されたのを機に、村民の寄進により新しい六角堂が建立され、現在の地に平成14年に安置されるに至った。法善寺から300m山道を登った松林の中にある。 |
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第
3
番 |
笹命山
(ささめいさん)
岩井堂
(いわいどう)
尻つみ観音 |
|
宗
派 |
無住 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
江戸時代前期 |
札所
本尊 |
馬頭観世音菩薩
(古司の尻つみ観音) |
住
所 |
東筑摩郡筑北村坂井4747-1
0263-67-2415(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
安坂川 波間にむすぶ 岩井堂 うろくずまでも 浮かみこそすれ |
源義経の家来だった佐藤継信と、その愛馬「磨墨(するすみ)」にまつわる伝説が縁起として伝えられている。木造の像も安置されている。古代、信濃は優良な馬の産地であったそうだ。 |
|
第
4
番 |
大里山
(おおさとさん)
風雲庵
(ふううんあん) |
|
宗
派 |
元黄檗宗 |
開山
開基 |
清野勝照 |
創
建 |
不詳 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩
(清野観音) |
住
所 |
長野市松代町清野宮組452
026-278-3898(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
清野寺 立ち出でみれば 霧雲の 晴るるところは もとのすみかよ |
開基は不詳だが、永禄4年(1561)年8月、川中島合戦の戦勝を祈願する武田信玄が、寺地を寄進して戦乱で荒廃した古寺を再建し、風雲庵の名称で深く信仰したと伝えられる。明治初期の廃仏毀釈で廃寺となったが。舞台造りの観音堂は地区の25軒の人たちにより守られている。毎年4月に開帳される。 |
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第
5
番 |
倉科山
(くらしなさん)
妙音寺
(みょうおんじ)
竹ノ尾観音 |
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開山
開基 |
坂上田村麻呂 |
創
建 |
平安初期 |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩
(竹ノ尾観音) |
住
所 |
千曲市倉科竹ノ尾1192
026-274-1707(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
くらしなと 思えばいずる 明星の ひかり田水に 浮かむ星影 |
坂上田村麻呂が、京の青年仏師に頼まれ、東征に向かう途中で当地に立ち寄り、一体の十一面観音を安置したのが始まりとの言い伝えがある。農家のようなお堂にご本尊が安置されている。 |
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第
6
番 |
洗淵山
(せんえんさん)
観瀧寺
(かんりゅうじ) |
|
宗
派 |
真言宗
智山派 |
開山
開基 |
坂上田村麻呂 |
創
建 |
平安初期 |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩
(森の観音さん) |
住
所 |
千曲市森大峯2650
026-272-3730(長雲寺:市内稲荷山) |
御詠歌 |
雨の宮 森の木陰に 寺見えて 参る心は 涼しかるらん |
征夷大将軍・坂上田村麻呂の東征に際し、妻・高子が戦勝祈願のために勧進したと伝えられる。昭和五十年代より無住となり、地元の信徒が大切に守り続けている。あんずの里の「森の観音さん」。参道の石段を上ると南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する二天門が迎える。本堂は茅葺屋根である。千手観世音を守護する木造観音二十八部衆(現存するのは26体)が残っている。御朱印を頂ける長雲寺には国の重文である「愛染明王坐像」がある。 |
|
第
7
番 |
虫歌山
(むしうたさん)
桑台院
(そうだいいん) |
|
宗
派 |
真言宗 |
開山
開基 |
快雄法印 |
創
建 |
奈良時代 |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩
(虫歌観音) |
住
所 |
長野市松代町豊栄宮崎6531-1
026-278-3967(福徳寺:松代の東寺尾) |
御詠歌 |
虫生田に かげを隠すは 東条 有明月は 西にかたむく |
寺院名が養蚕との関わりうかがわせる通り、この地方では古くから養蚕が盛んで、蚕を病害から守り、養蚕の隆盛を祈願する人々が熱心に参拝したという。一丈八尺の大きな千手観音がおまつりされている。現在は無住の寺。納経所は松代の古刹・福徳寺。なお11番の御朱印もいただける。 |
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第
8
番 |
時頼山
(ときよりさん)
西明寺
(さいみょうじ)
吉窪観音 |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
不詳 |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
住
所 |
長野市塩生甲3074
026-229-3340(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
水上を さし出でみれば 西明寺 岸うつ波に 船ぞ浮かめる |
山号である「時頼山」は鎌倉幕府五代執権を務めた北条時頼が自ら名付けたと伝えられている。昭和8年に火災により全て消失。御本尊は33番札所・高山寺からの頂いたもの。 |
|
第
9
番 |
蓑堂山
(みのどうざん)
蓑堂
(みのどう)
ベベ出し観音 |
|
宗
派 |
不明 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
|
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
須坂市大字米子寺内34
026-248-2132(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
井の上や 夜な夜なきたる みのん堂 雨はふるとも 身をばぬらさじ |
べべ出し観音.江戸時代後期、祭事で村が留守の間に火事が起きたことから「お祭り嫌いの観音様」としても知られている。昭和40年代の松代群発地震によりかつて本堂内に安置されていた本尊の十一面観世音菩薩は麓の樋口家宅にて大切に安置されている。蓑堂は、その地震の際に倒壊寸前となり、お堂まで行けない。 |
|
第
10
番 |
妙徳山
(みょうとくさん)
高顕寺
(こうけんじ) |
|
宗
派 |
真言宗
豊山派 |
開山
開基 |
行基 |
創
建 |
|
札所
本尊 |
千手十一面観世音菩薩 |
住
所 |
須坂市仁礼中村868 026-246-8583 |
御詠歌 |
あづまやの 川瀬の波の 音聞けば み法の船の たがわざりけり |
鎌倉時代末期の元徳年間には32堂の伽藍を配す荘厳な寺であったと云う。境内には様々な表情をした三十三体の石仏が並んでいる。観音堂はかつて山の中腹にあったが、平成19年8月に境内に大悲殿として移転。御本尊の千手観音は手が8本という珍しいもの。千手と言っても42本が比較的に多い。 |
|
第
11
番 |
仏智山
(ぶっちさん)
明真寺
(みょうしんじ)
清滝観音堂
(きよたきかんのんどう) |
|
宗
派 |
真言宗 |
開山
開基 |
行基 |
創
建 |
天平年間 |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
住
所 |
長野市松代町東条菅間 026-278-3967(福徳寺:松代の東寺尾) |
御詠歌 |
清滝や 川瀬の波の 繁ければ 心静めて 頼む後の世 |
清滝観音。養蚕観音とも云う。奈良時代、僧行基がこの地を訪れた際、桑の巨木から立木のまま1丈6尺の千手観音像を三体刻まれ、そのうちの一体は奇妙山西中腹のこの地に安置したのが起源と伝えられる。もう2体は7番札所の桑台院と16番札所の清水寺に安置されたと伝えられ、昔からこの3寺を1度に巡礼するとご利益が大きいとされた。奈良時代坂上田村麻呂が東国制覇の折、祈願所として堂宇を建立したとされ、最盛期には36坊・7堂伽藍をそろえ、山岳信仰の一大霊場として栄えたと伝えられる。かつては水量も豊富だった近くの清滝は今や流れる水は僅か。舞台造りの観音堂は大きくて立派だが、無住で、納経所は松代の東寺尾の福徳寺。なお7番の御朱印もいただける。 |
|
第
12
番 |
菩提山
(ぼだいさん)
無常院
(むじょういん) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開山
開基 |
誓林坊 |
創
建 |
永承3年
(1048) |
札所
本尊 |
馬頭観世音菩薩 |
住
所 |
長野市安茂里小市3-45-8 026-226-4729 |
他
札
所 |
|
御詠歌 |
中見堂 参りて拝む ありがたや よきもあしきも もらし給ふな |
子育観音。京都知恩院派の古刹として地域の信仰を集めてきた。善光寺と同じ「立葵」を寺紋とし、古くから善光寺7院のひとつに数えられてきた由緒ある寺院で、善光寺参りの西の玄関口だった所。秘仏である銅製鋳造の本尊も「善光寺仏」と呼ばれる一光三尊の阿弥陀如来像で、善光寺の前立本尊より古い鎌倉時代中期の作と推定される。 |
|
第
13
番 |
恵日山
(えにちさん)
開眼寺
(かいがんじ)
|
|
宗
派 |
臨済宗
妙心寺派 |
開山
開基 |
龍天登大禅師 |
創
建 |
慶安4年
(1651) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
千曲市八幡中原57 026-272-5019 |
他
札
所 |
|
御詠歌 |
開眼寺 後ろは山に 前はよし 北を流るる 志川なるらん |
本尊の聖観音菩薩は「日不見の観音」と呼ばれ、厨子の扉を開けることを禁じられていた。扉を開けると北風が吹いて水害が起き、開扉した者は急死、住職にも不幸があると信じられていたからである。現在は8/3だけ御開帳。信濃三十三観音霊場において唯一北に向いている観音堂である。 |
|
第
14
番 |
姨捨山
(おばすてやま)
長楽寺
(ちょうらくじ)
姥捨観音
(おばすて) |
|
宗
派 |
天台宗 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
10世紀頃? |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩(本尊) |
住
所 |
千曲市八幡4984 026-273-3578 |
御詠歌 |
音に聞く 姨捨山を 来てみれば 月の都は ここにこそあれ |
「古今和歌集」には、幾人もの歌人が「さらしなの地」や「おばすて山」を月の名所として詠んだ歌が編まれている。松尾芭蕉の句「俤や姥一人なく月の友」を刻んだおもかげ塚(芭蕉翁面影塚)は陸前松崎の「松島やああ松島や松島や」、常陸鹿島の「月はやし梢は雨を待ちながら」とともに日本三塚に数えられるという。 |
|
第
15
番 |
富蔵山
(とくらさん)
岩殿寺
(がんでんじ) |
|
宗
派 |
天台宗 |
開山
開基 |
学文行者
(役行者直弟子) |
創
建 |
1600年代 |
札所
本尊 |
馬頭観世音菩薩 |
住
所 |
東筑摩郡筑北村坂北13505 0263-66-4036(事前連絡) |
御詠歌 |
罪科も 露と消えなむ 岩殿の 松吹く風も 御法なるらん |
奇岩、奇峰を持つ岩殿山の麓に位置する古刹。中世には七堂伽藍が立ち並び、75社4院12坊を連ねたとされ、岩殿山とその南の富蔵山一帯に広がる天台修験道場の中心寺院として格式と隆盛を誇ったが、江戸、昭和の大火で堂塔のほとんどが消失。火難を免れた銅製懸仏の御正体と大日如来像は国の重要文化財となっている。なお、信濃三十三観音札所は当寺の前住職が尽力され、現在に至っている。 |
|
第
16
番 |
阿弥陀山
(あみださん)
清水寺
(せいすいじ) |
|
宗
派 |
真言宗
智山派 |
開山
開基 |
行基 |
創
建 |
天平14年
(742) |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
住
所 |
長野市若穂保科1949 026-282-3701(要事前連絡) |
他
札
所 |
|
御詠歌 |
かりそめも にごる心を 求むなよ 影清水に 月は澄みぬる |
保科観音。古刹で足利時代には八代将軍義政の篤い帰衣を受け、三十余の同塔を連ねた一大霊場をなした。三重塔もあったとか。本堂から山上へ、車で5分程度のところにある朱色の観音堂は圧倒。国の重文が9点もあるとか。 |
|
第
17
番 |
福寿山
(ふくじゅさん)
関昌寺
(かんしょうじ)
今見堂観音
(いまみどう)
|
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開山
開基 |
青柳近江守清長 |
開
山 |
淵龍 |
創
建 |
元禄元年
(1688) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
東筑摩郡筑北村東条405
0263-66-2138(碩水寺:同村坂北) |
御詠歌 |
昔より 大悲の御影 今見堂 後世こそ大事 助け給へや |
正命観音。本尊の十一面観音像は、明治以前には近くの今見堂の本尊であったが、廃仏毀釈で堂が廃れた際、関昌寺に移された。ご本尊に祈願すれば、「一生マメに暮らせる」と伝えられる。 |
|
第
18
番 |
金峯山
(きんぽうさん)
龍福院
長谷寺
(はせでら)
人肌観音
|
|
宗
派 |
真言宗
智山派 |
開山
開基 |
白助翁 |
創
建 |
舒明9年 |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
長野市篠ノ井塩崎878 0262-92-2102 |
他
札
所 |
日本三大長谷観音 |
御詠歌 |
はつせでら 松の葉ごしの影よりも 遠に見えゆく とをの山寺 父母(ちちはは)の菩提(ぼだい)のためにはつせでら建(た)ててぞ祈(いの)る大慈大悲(だいじだいひ)を |
人の肌の温もりを失わない「人肌観音」として多くの信仰をあつめる長谷観音。信州屈指の古刹で、飛鳥時代、允恭天皇六代の孫・白助翁が善光寺如来のお告げを受け、両親の菩提供養に奈良初瀬から十一面観世音菩薩を勧請してこの地に奉安したのが始まりと伝えられる。信濃長谷寺とも称し、大和、鎌倉(こちら)と並ぶ日本三大長谷観音の一霊場として名高い。観音堂は石垣の上に建つ独特な堂宇。本尊十一面観世音菩薩は秘仏で、善光寺御開帳の翌年、四月の縁日を中心に数日間開帳される。 |
|
第
19
番 |
小菅山
(こすげさん)
菩提院
(ぼだいいん) |
|
宗
派 |
真言宗 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
不詳 |
札所
本尊 |
馬頭観世音菩薩 |
住
所 |
飯山市瑞穂7082 0269-65-3406 |
他
札
所 |
|
御詠歌 |
小菅寺 南を見れば あづまやの 誓を頼み 願ふ後の世 |
小菅地区の入口には仁王門が建っている。戸隠山、飯縄山とともに北信濃の三大修験道場のひとつとして名高かった小菅山の本坊、小菅山大聖院の山内寺院のひとつ「桜元坊」を前身とする。廃仏毀釈の際、大聖院は小菅神社となり、桜本坊が仏教寺院菩提院として残された。片足立膝の馬頭観音は弘法大師の作と伝えられ、古くから家畜の病や災い避けに霊験あらたかと信じられてきた。 |
|
第
20
番 |
鷲峯山
(しゅうほうざん)
長安寺
(ちょうあんじ)
岩井堂観音 |
|
宗
派 |
臨済宗 |
開山
開基 |
[大平山]行基 |
創
建 |
天平勝宝年間
(750年前後) |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
住
所 |
松本市会田611 0263-58-3178(牛伏寺) |
御詠歌 |
岩井堂 岩にぞ御堂 懸けつくり 谷をへだてて うつす水かげ |
岩井堂観音。堂の周囲には数十体の石仏群や弘法大師像が建ち、付近の岩壁には地蔵尊の摩崖仏などもある。松本の牛伏寺(27番)で御朱印が頂ける。 |
|
第
21
番 |
小澤山
(おざわさん)
常光寺
(じょうこうじ)
岡田観音堂 |
|
宗
派 |
不明 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
不詳 |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
長野市篠ノ井岡田裏1243
026-293-1947(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
本山や 常の光の み寺にぞ 有明月に 朝日輝く |
岡田観音。常光寺は塩尻にあったお寺だが、明治初期の廃仏毀釈で廃寺。その後、りんご畑が広がるこの地に遷座。昭和33年再建の観音堂だけが建つ。 |
|
第
22
番 |
羽広山
(はびろさん)
仲仙寺
(ちゅうせんじ)
羽広観音
(はびろ) |
|
宗
派 |
天台宗 |
開山
開基 |
慈覚大師円仁 |
創
建 |
弘仁7年
(816) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
伊那市西箕輪3052
0265-73-5472 |
他
札
所 |
|
御詠歌 |
はるばると 登り向かえば 仲仙寺 いつも絶えせぬ 松風の音 |
馬を守護する羽広観音。古刹。堂内には千匹馬という日本有数の絵馬が飾られている。 |
|
第
23
番 |
瀧洞山
(りゅうどうさん)
宝蔵寺
(ほうぞうじ) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開山
開基 |
慈覚大師円仁 |
創
建 |
承和元年
(834) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
上田市御獄堂84 0268-42-2561 |
他
札
所 |
|
御詠歌 |
宝蔵寺 見上げてみれば 岩谷堂 峯の松風 谷川の音 |
岩谷堂観音。130段の石段を上ると切り立つ岩山の中腹に食い込むように建つ朱塗りの観音堂がある。以前本堂裏の洞窟中に安置されていたことから「岩屋堂の観音さん」と呼ばれており、遠方からも参詣客が絶えなかったという。 |
|
第
24
番 |
法国山
(ほうこくざん)
阿弥陀寺
(あみだじ)
唐沢岩屋堂
(からさわいわやどう) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開山
開基 |
念仏行者
河西浄西 |
開
山 |
弾誓上人 |
創
建 |
文禄4年
(1595) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩
(石像) |
住
所 |
諏訪市上諏訪唐沢7633-1
0266-52-5269(阿弥陀寺:総代会在時)
0266-52-0818(正願寺:市内岡村) |
他
札
所 |
伊那諏訪88ヶ所 第21番 |
御詠歌 |
唐沢や 岩間に結ぶ 観世音 誓いの水は 汲めどつきせじ |
岩屋観音、子授け漢音と親しまれている。平成5年の災火で全焼し、その後大本山善光寺大本願「旧本誓殿」を本堂として移築し、庫裡、岩屋堂は再建新築し、平成9年10月に復興した。堂には「子宝授かり地蔵」も祀られ、多くの参拝者がある。 |
|
第
25
番 |
天陽山
(てんようざん)
盛泉寺
(じょうせんじ)
水沢観音堂
(みずさわ) |
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開山
開基 |
|
創
建 |
天文21年
(1552) |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩
(5/2に開帳) |
住
所 |
東筑摩郡波田町5997 0263-92-3128 |
他
札
所 |
信州筑摩三十三カ所観音霊場 第30番
信州七福神月見布袋 |
御詠歌 |
参るより 心も清き 水沢の 誓も深き み寺なりけり |
水沢観音。身の丈二寸(6cm)。梓川の河岸段丘上部、北アルプスの前衛をなす山のひとつ白山の麓に位置する。ここから1.5kmほど山へ入った水沢山一帯には、かつて行基が天平年間に創建したと伝えられる名刹・慈眼山(または水沢山)若澤寺(にゃくたくじ:廃仏毀釈で廃寺)があった。平安時代に坂上田村麻呂が安曇野の八面大王征伐に際し、この水沢観音の加護の下に勝利したことから、堂宇を寄進したとされる。壮大な伽藍と深山のおもむきから、江戸時代には「信濃日光」と呼ばれ、隆盛をきわめたそうだ。盛泉寺の本尊は釈迦牟仏である。春のしだれ桜と鐘楼堂のとり合わせ、秋の紅葉と鐘楼堂のとり合わせが知られる。 |
|
第
26
番 |
栗尾山
(くりおさん)
満願寺
(まんがんじ)
栗尾観音 |
|
宗
派 |
真言宗
豊山派 |
開山
開基 |
|
創
建 |
神亀年間(725)頃 |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
住
所 |
安曇野市穂高牧1812
0263-83-2088(要事前連絡) |
御詠歌 |
ありがたや 功力も深き 観世音 導き給へ 弥陀の浄土へ |
「信濃高野」の異称もある真言宗の古刹。参道の入口にある、長さ10m・幅2.5mの木橋は、「微妙橋」とも「お経橋」とも言う。橋板の裏側に経文が書かれており、この橋を渡る際にはお経を唱えなくてはならないとされる。重い罪を犯した人は渡れないのだとか。下を流れるのは三途の川で、欄干、切妻屋根付きの美しい太鼓橋は、極楽浄土への結界をあらわしている。立山の無明橋、高野山の無妙橋とならんで日本三霊橋に数えられている。さくら、つつじ、紅葉が、時期になると美しい。
また境内には湧水がある。 |
|
第
27
番 |
金峰山
(きんぽうざん)
牛伏寺
(ごふくじ)
牛伏観音
|
|
宗
派 |
真言宗
智山派 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
756年(天平勝宝7年) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
松本市内田2573 0263-58-3178 |
他
札
所 |
信州筑摩三十三カ所観音霊場 第9番 |
御詠歌 |
来世にて 死出の山路は よも越さじ 金峯山へ 参る身なれば |
廃仏毀釈を逃れた信濃三十三番札所中最大規模の厄除け霊場.。重文が多数。唐からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭の牛が倒れたことから「牛伏寺」の名が付いたという。なお、参道途中に建つ牛堂には2頭の牛が祀られている。 |
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第
28
番 |
龍頭山
(りゅうずさん)
龍福寺
(りゅうふくじ)
鳥羽堂観音 |
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宗
派 |
元天台宗 |
開山
開基 |
慈覚大師 |
創
建 |
承和元年
(834) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
上田市腰越向井1186
0268-42-2196(全宗院:上田市腰越80-2) |
御詠歌 |
鳥羽の山 登りてみれば 龍福寺 田子の浮き舟 松風の音 |
鳥羽堂観音。毎年12月には奉賛会が主催する子ども餅つき大会で大いににぎわう無住のお寺。 |
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第
29
番 |
布引山
(ぬのびきさん)
釈尊寺
(しゃくそんじ) |
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宗
派 |
天台宗 |
開山
開基 |
行基 |
創
建 |
神亀元年
(724) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
小諸市大久保2250 0267-23-0520 |
御詠歌 |
望月の 御牧の駒は 寒からじ 布引山を 北と思へば |
小諸の名刹、布引観音。牛に化身した聖観音に白布を奪われた老婆が、善光寺まで追いかけて仏教に帰依するようになったという「牛に引かれて善光寺参り」伝説ゆかりの寺院である。本堂のほか花成寺、額願寺、真福寺、一宝寺、神興寺、慈現寺の六ヶ寺が岩窟に伽藍を造営。懸崖に建立した観音堂を中心とする仏道修行の聖域だったとされる。本堂に対面した崖の上に懸造で建造されている朱塗りの観音堂内の観音堂宮殿(仏殿形の厨子)は鎌倉時代の様式をよく伝えており、建築・美術史上きわめて貴重とされ、国の重要文化財に指定されている。 |
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第
30
番 |
歓喜山
(かんぎさん)
正法寺
(しょうほうじ) |
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宗
派 |
真言宗
豊山派 |
開山
開基 |
坂上田村麻呂 |
創
建 |
大同年間 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
上水内郡中条村日下野1874 026-267-2319 |
御詠歌 |
正法寺 月は三ヶ野の 峰に出で 下る片岡 寺のともしび |
江戸末期、日照りに苦しむ村人がワラでつくった龍にこちらの観音様が生命を与え、たちまちに雨を降らせたという伝説があり、雨乞いのご利益で知られている。行基作と言われている御本尊は年に1回、5/4に開帳。 |
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第
31
番 |
慈眼山
(じげんざん)
広福寺
(こうふくじ)
乳出し観音 |
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宗
派 |
曹洞宗 |
開山
開基 |
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創
建 |
不詳 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
上水内郡中条村御山里8859
026-268-3364(世話人:要事前連絡) |
御詠歌 |
広福寺 誓を頼む 八重桜 峰の嵐も 吹きや散らさじ |
無住寺だが、村人の努力で再建され「乳出し観音」と呼ばれ厚く信仰されている。地名の通りの山里にあるお堂。創建は不明だが古くから高福寺という寺が有ったそうだ。、寛永5年(1628)隣村の和尚が中興開基し広福寺に改名。 |
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第
32
番 |
椿峯山
(つばみねさん)
西照寺
(さいしょうじ) |
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宗
派 |
元真言宗 |
開山
開基 |
不詳 |
創
建 |
不詳 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
上水内郡小川村椿峰4031
026-269-2568(高山寺) |
他
札
所 |
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御詠歌 |
椿峰や 高き恵みは いかばかり 深き罪身も 浮かぶとぞ聞く |
かつてこの地は交通の要所で、大きなお寺だったが、何回かの地すべりを経て町もお寺も衰退したのだとか。今は無住のお堂で、御朱印は、33番「高山寺」で頂ける。 |
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第
33
番 |
宝珠山
(ほうじゅざん)
高山寺
(こうさんじ) |
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宗
派 |
真言宗
豊山派 |
開山
開基 |
坂上田村麻呂 |
創
建 |
大同3年
(808) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
上水内郡小川村稲丘7119 026-269-2568 |
御詠歌 |
高くとも 安く登れよ 寺坂を 九品浄土へ 参る身なれば |
古刹。北信州唯一の三重塔は建久6年(1195)、源頼朝の建立と伝えられるが老朽化し、元禄時代に虫倉山中で修行中の木食山居上人に勧進を願い、五年がかりで十数万人の喜捨を集めて再建した。塔内には如来三尊が本尊としてまつられている。なお本尊は秘仏で、年に一度、8月10日に開帳している。雨乞い、火除けの観音様として名高い。 |
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札番 |
寺院名 |
納経印 |
巡礼情報 |
客
番 |
定額山
(じょうがくさん)
善光寺
(ぜんこうじ)
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宗
派 |
天台宗
浄土宗 |
開山
開基 |
伝・皇極天皇(勅願) |
創
建 |
伝・皇極天皇3年 (644) |
本
尊 |
一光三尊阿弥陀如来 |
御詠歌 |
身はここに 心は信濃の 善光寺 導き給へ 弥陀の浄土へ |
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客
番 |
北向山
(きたむきさん)
北向観音堂
(きたむきかんのんどう) |
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宗
派 |
天台宗 |
開山
開基 |
円仁(慈覚大師) |
創
建 |
天長2年
(825) |
本
尊 |
千手千眼観世音菩薩 |
住
所 |
上田市別所温泉1666
0268-38-2023 |
御詠歌 |
いくばくの 人の心を 澄ますらん 北向山の 峰の松風 |
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札番 |
寺院名 |
納経印 |
巡礼情報 |