札番 |
寺院名 |
朱印 |
巡礼情報 |
第
1
番 |
城谷山
(じょうこくざん)
音岸寺
(おんがんじ) |
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
文久2年
(1862) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市三崎町5
046-881-2427 |
P |
なし |
御詠歌 |
来るより頼みをうけし観世音 成仏なると聞くはたのもし |
現在は無住で、約2㎞離れた本端寺の管理になっている。御開帳の期間は檀家の皆様が詰めている。御本尊「十一面観世音菩薩」の他に、(左右)千手観音、聖観音、勢至観音、准胝観音、馬頭観音、如意輪観音の七観音と、浪切不動尊が祀られている。源頼朝の別荘、桜の御所旧跡と伝わる。鎌倉幕府を開いた源頼朝は、花の咲くころになると鎌倉から来遊し花見を楽しんだ。桜の花見は『桜の御所』桃の花見は『桃の御所』椿の花見は『椿の御所』と名付けられ、この三か所を総称して『三御所』として呼ばれた。桃、椿の御所はそれぞれ二番と四番の札所になっている。 |
|
第
2
番 |
紫陽山
()
見桃寺
(けんとうじ) |
|
宗
派 |
臨済宗 |
開
基 |
向井正綱 |
開
山 |
白室玄虎和尚 |
創
建 |
元和2年 (1616) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市白石町19-2
046-882-5632 |
P |
一般10台
(2ヵ所) |
御詠歌 |
はるばると来たりて拝む観世音 就くか浄土へ光まします
|
源頼朝が花見を行った「桃の御所」旧跡に建立されたそうです。もともと三崎町にあった能救寺が札所であったと思われる。昭和に入り見桃寺に合併され祀られるようになった。 |
|
第
3
番 |
円通山
()
蓮乗寺
()
観音堂
(かんのんどう) |
|
宗
派 |
臨済宗 |
開
山 |
三浦道寸の家臣
川島吉隆 |
創
建 |
永正15年 (1518) |
札所
本尊 |
如意輪観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市原町13-14
046-881-3572(大椿寺) |
P |
不明 |
御詠歌 |
里をすぎ野をすぎ原の観世音 みちびき給え遠き来世を |
観音堂は、市内原町にあることから『原の観音』と呼ばれる安産の観音様として信仰されている。 |
|
第
4
番 |
金剛山
(こんごうざん)
大椿寺
(だいちんじ) |
|
宗
派 |
臨済宗
妙心寺派 |
開
山 |
旭永和尚 (きょくえい) |
創
建 |
元治元年
(1199) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市向ヶ崎11-1
046-881-3572 |
P |
不明 |
御詠歌 |
西方へ向崎の観世音 大慈大悲はたふとかりけり |
臨済宗建長寺派→寛文8(1668)年京都妙心寺派に改修。当時は多くの椿の木があったことから、「椿の御所」といわれていたそうです。「椿の御所幼稚園」を併設。 |
|
第
5
番 |
立光山
(りゅうこうざん)
海応寺
(かいおうじ) |
|
宗
派 |
臨済宗
円覚寺派 |
開
山 |
真祥師(しんぜんじ) |
創
建 |
|
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市南下浦町毘沙門大乗1936
046-881-5718 |
P |
一般10台 |
御詠歌 |
打つ浪も心ありて打つからは 仏の教仏堂が崎 |
|
第
6
番 |
佛光山
(ぶっこうさん)
観圓寺
(かんえんじ)
観音堂
(かんのんどう) |
|
宗
派 |
臨済宗
建長寺派 |
開
基 |
|
開
山 |
経翁和尚 |
創
建 |
慶長15年
(1610) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市南下浦町松輪大畑320-2
046-886-1149(福泉寺) |
P |
不明 |
御詠歌 |
くるかと 仏は我をまつかな また後の世を まつは観音 |
民家風のお堂。現在は無住のお寺で、同じく松輪にある福泉寺の持寺となっている。ここの観音様は「大畑観音」と呼ばれ地元の方から信仰を集めてる。 |
|
第
7
番 |
岩浦山
(いわぶさん)
福寿寺
(ふくじゅじ) |
|
宗
派 |
臨済宗
建長寺派 |
開
基 |
三浦駿河守義村
(三浦大介義明の孫)
|
開
山 |
慶叔大孝禅師 |
創
建 |
|
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市南下浦町金田2062
046-886-0101 |
P |
不明 |
御詠歌 |
岩ぶちにふかき誓の観世音 しょうとくやくねい救け給えや |
|
第
8
番 |
金田山
(かねださん)
清伝寺
(せいでんじ) |
|
宗
派 |
臨済宗
建長寺派 |
開
山 |
桃源宗悟
(とうげんそうご) |
創
建 |
建武年間
(1334~36) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市下浦町金田963
046-888-0304 |
P |
不明 |
御詠歌 |
高山に登りて溝を眺むれば 浦のみぎわに立つは白波 |
|
第
9
番 |
菊名山
(きくなさん)
法昌寺
(ほうしょうじ) |
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開
基 |
|
開
山 |
安叟補全和尚
(あんそうほぜんおしょう) |
創
建 |
|
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市南下浦町菊名159
046-888-1630 |
P |
不明 |
御詠歌 |
観音をいくつと聞くな目の前に ねび観音の外はあるまじ |
昔、この土地の庄司入道常玄(じょうげん)という人が夢のお告げで、海岸で観音様を発見する。お堂を建て、観音様を祀り、お堂を「潮客寺(ちょうかくじ)」と名付けた。時が流れ、お堂も荒廃しましたが、天正18年(1587)、徳川家康が駿河から江戸へ移ってきた際に、長谷川七郎衛文という人物に三浦半島を検地(測量)させた。この時に「潮客寺」から「法昌寺」へ改められたのだとか。 |
|
第
10
番 |
海東山
()
三樹院
(さんじゅいん)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
|
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市南下浦町上宮田601
0468-88-0619 |
P |
一般20台 |
御詠歌 |
今日はいて 明日は今井か 我が命 仏はしろし めさるべきかな |
旧上宮田岩井口の十劫寺の子院であった。本尊は十一面観音(應行作)で、古より"今井の観音さま"と呼ばれ広く親しまれている。 |
|
第
11
番 |
酔蓮山
(すいれんざん)
称名寺
(しょうみょうじ) |
|
宗
派 |
浄土真宗
西本願寺派 |
開
基 |
真仏上人 |
開
山 |
|
創
建 |
|
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市野比1-32-15
046-848-0997 |
P |
一般20台 |
御詠歌 |
命のび 参りて拝む 観世音 二世安楽と 祈る諸人 |
昔は、真言宗のお寺で大塔院といい、観音堂とともに千駄ヶ崎にあったと伝えられ、貞永年間(1232年~1233年)に了法上人が親鸞上人に帰依して、浄土真宗に改宗し、現在地に移ったのだとか。本巡礼により西本願寺派でも御朱印が頂ける。 |
|
第
12
番 |
明星山
(みょうじょうざん)
伝福寺
(でんふくじ) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
泉蓮社昌誉源順 |
開
山 |
安養院第15世の
昌誉 |
創
建 |
大永7年
(1527) |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
|
第
13
番 |
延命山
()
東福寺
() |
|
宗
派 |
曹洞宗 太玄派 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
慶長年間 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市西浦賀町2-37
046-841-1234 |
P |
一般10台 |
叶神社の裏手の高台。かつて観音堂脇に湧いていた水は「甘露水」といわれた良い水だったそうだ。 |
|
第
14
番 |
仏崎山
(ぶつさきさん)
観音寺
(かんのんじ) |
|
宗
派 |
禅宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
|
札所
本尊 |
十一面観音
(船守観音) |
御詠歌 |
仏崎へ 参りて沖を 眺むれば あわやかずさを 山高く見て |
観音崎の地名は,奈良時代の僧行基が船の安全のため、十一面観音(船守観音)を海蝕洞窟に納めたことに由来すると伝えられている。現在,洞窟は海面から6~7m位の場所にある。明治13(1880)年、観音崎に陸軍砲台が築造され要塞化されたため、翌年、観音寺は鴨居港と腰越の浜の中間に突き出た小さな半島・亀崎の先端部に移された。亀崎に移されてからも「船守観音」は多くの人々の信仰をあつめ、また寺を地域の青少年に文庫と学習室として開放、更に夏の間,健康センターとして開放する等地域の人々に親しまれていたが,昭和61(1986)年の火災により焼失。三浦三十三観音としての第14番札所「観音寺」は,吉井にある第15番札所「真福寺」が代行していたが、現在の第15番は妙音寺。ちなみに焼失した観音寺の土地には大きな別荘が建てられ、その門前に小さなお堂がある。それが現在の観音寺で,焼失した十一面観音(船守観音)に代わって,円空彫り風の観音様が祀られている。 |
|
飯盛山
(いいもりさん)
妙音寺
(みょうおんじ)
|
|
宗
派 |
高野山
真言宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
天正年間
(1580年代) |
札所
本尊 |
不空羂索観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市初声町下宮田119
046-888-2226
|
P |
一般20台 |
|
第
15
番 |
吉井山
(よしいざん)
真福寺
(しんぷくじ) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
亨禄元年
(1528) |
札所
本尊 |
瀧見観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市吉井1-4-48
046-835-1342
|
P |
不明 |
御詠歌 |
来たるより 心吉井の 観世音 拝む我が身は 後の世のため |
前立ちの赤子を抱いた観音様は「マリア観音」と呼ばれている。真福寺から高坂小学校へと続く山林は“御林”というそうだ。 |
|
第
16
番 |
栄久山
()
等覚寺
(とうがくじ) |
|
宗
派 |
日蓮宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
天正12年 (1584) |
札所
本尊 |
千手観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市久村479
046-835-3708 |
P |
|
御詠歌 |
この世をば久しきものと思いつけ 来世のことを苦にも思わぬ |
御本尊千手観世音は昔、この近くの御滝社に隣接する経塚山に千手院というお寺があり、そこの御本尊であった。明治の廃仏毀釈で廃寺となったため昭和5年に当覚寺へ移遷された。 |
|
第
17
番 |
普門山
()
慈眼院
(じげんいん) |
|
宗
派 |
日蓮宗 |
開
基 |
|
開
山 |
顕靜院日進聖人 |
創
建 |
江戸時代中期 |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市佐原5-22-1
046-835-8938 |
P |
|
御詠歌 |
あかひこそかやまに大悲観世音 救ひ給えとはこぶあゆみを |
|
第
18
番 |
岩戸山
()
満願寺
(まんがんじ)
|
|
宗
派 |
臨済宗
建長寺派 |
開
基 |
三浦義明(大介)の末子である
義連(佐原十郎義連) |
開
山 |
大達明岩正因
禅師 |
創
建 |
寿永3年
(1184) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市岩戸1-4-9
046-848-3138 |
P |
|
御詠歌 |
岩戸をば押し開きつつ観世音 来たりて御身拝む尊しや |
創建当初の伽藍は現在の数十倍の広さをもつ寺領百貫の一大伽藍であったとされている。 |
|
第
19
番 |
大富山
()
清雲寺
(せいうんじ) |
|
宗
派 |
臨済宗
円覚寺派 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
|
札所
本尊 |
滝見観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市大矢部5-9-20
046-836-0216 |
P |
|
御詠歌 |
草深き谷の中にも観世音 草かきわけて拝む身なれば |
|
第
20
番 |
七重山
()
浄林寺
(じょうりんじ) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
|
開
山 |
然蓮社廓譽上人 |
創
建 |
永正2年
(1505) |
札所
本尊 |
馬頭観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市馬堀町4-14-1
046-841-1496 |
P |
|
境内から200メートルほどの飛び地に馬堀の町名の由来となった蹄の井がある。その昔、一頭の暴れ馬が浦賀水道を泳ぎ渡り、走水の地にたどり着いた。暴れ馬は小原台の馬草を食べて過ごすが水場が無かった。そこで足で地を掘り清水を湧き出させたという。 |
|
第
21
番 |
金鳳山
(きんぽうざん )
景徳寺
(けいとくじ)
|
|
宗
派 |
臨済宗
円覚寺派 |
開
山 |
仏観禅師青山大和尚
(夢窓国師の弟子) |
創
建 |
観応2年
(1369) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市船越1-61
046-871-6649 |
P |
一般約10台・バス1台
(バスは事前に予約要) |
御詠歌 |
観音はけいとくしうの佛にて ぐせいの船に来るぞ船越 |
|
第
22
番 |
坂中山
(さかなかざん)
観音寺
(かんのんじ)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
山 |
|
創
建 |
貞亨4年
(1687) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市追浜東町1-79
046-865-2650(良心寺) |
P |
なし |
御詠歌 |
谷峯をはるばる行きて坂中の 寺に参るは後の世のため |
|
第
23
番 |
蓮沼山
(れんしょうざん)
観蔵院
(かんぞういん)
|
|
宗
派 |
天台宗 |
開
山 |
行基菩薩 |
創
建 |
神亀元年
(724) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
逗子市桜山5-6-1
046-871-6649 |
P |
一般20台 |
御詠歌 |
高山に登りて溝を眺むれば 浦のみぎわに立つは白波 |
|
第
24
番 |
軍見山
(ぐんけんざん)
海宝寺
(かいほうじ)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
|
創
建 |
|
本
尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
葉山町堀之内42
046-875-0229(光徳寺) |
P |
なし |
御詠歌 |
あぶずるの山に御法の旗たてて 主のいくさを救ふ御佛 |
|
第
25
番 |
守護山
(しゅごさん)
偏照寺
玉蔵院
(ぎょくぞういん)
|
|
宗
派 |
高野山
真言宗 |
開
基 |
奈良東大寺の
別当良辨僧正 |
創
建 |
天平勝宝年間
(749~757) |
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
葉山町一色2154
046-875-3531 |
P |
一般数台 |
ご詠歌 |
「一色は 名のみなりけり 法の庭 千草に匂ふ 蓮の花ぶさ」 |
|
第
26
番 |
松葉山
(まつばさん)
観正院
(かんしょういん)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
山 |
本誉古山上人 |
創
建 |
寛永11年
(1634) |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
葉山町上山口2163
046-878-7113(西光寺) |
P |
一般数台 |
御詠歌 |
行きつきて この山口の 観世音 大慈大悲は あるじなるまじ |
|
第
27
番 |
海上山
普門寺
円乗院
(えんじょういん)
|
|
宗
派 |
真言宗
大覚寺派 |
開
山 |
朝賢法印 |
創
建 |
正慶元年 (1332) |
札所
本尊 |
正観音菩薩 |
住
所 |
横須賀市秋谷4387
046-856-8301 |
P |
駐車スペースあり |
御詠歌 |
観音を尋ねてくるわ後世の ためとやまいる深きめぐみを |
|
第
28
番 |
海照山
()
専福寺
(せんぷくじ) |
|
宗
派 |
浄土真宗
本願寺派 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
1500年頃 |
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市佐島1-26
046-856-0227 |
P |
なし |
御詠歌 |
観音へ参りて西を眺むれば 富士の高根に雪はふりつつ |
境内外約200m離れた所に観音堂があり、そこに十一面観音菩薩が像が安置されている。 |
|
第
29
番 |
金剛山
(こんごうさん)
無量寺
(むりょうじ)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
三浦一族の
和田義盛 |
開
山 |
中国僧竺仙梵僊
(じくせんぼんせん) (浄智寺) |
創
建 |
建武3年 (1338) |
本
尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市長坂4-21-18
046-856-0758 |
P |
一般15台・バス1台 |
御詠歌 |
聞きしより短き坂を長坂と 無量寺に参る観音 |
|
第
30
番 |
禅林山
(ぜんりんざん)
正住寺
(しょうじゅうじ)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
足利義政 |
開
山 |
|
創
建 |
文明元年
(1468) |
札所
本尊 |
定印観世音菩薩 |
住
所 |
横須賀市林5-1-5
046-856-7317 |
P |
なし |
御詠歌 |
参るより頼みをかけし観世音 おそしはやしは心心に |
|
第
31
番 |
鈴木山
()
長慶寺
(ちょうけいじ)
|
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
鈴木家長 |
創
建 |
建久3年 |
本
尊 |
聖観世音菩薩 |
御詠歌 |
命こそながいみじかき浮世かな 来世を頼む南無観世音 |
|
第
32
番 |
網代山
()
海蔵寺
(かいぞうじ) |
|
宗
派 |
曹洞宗 |
開
基 |
|
開
山 |
不明 |
創
建 |
|
札所
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市三崎町小網代1508
046-881-4500 |
P |
|
御詠歌 |
あじきなやあみにかからんわれひとを たすけたまえといのる身なれば |
|
第
33
番 |
白蓮山
()
心光寺
(しんこうじ)
観音堂
(かんのんどう) |
|
宗
派 |
浄土真宗
本願寺派 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
|
札所
本尊 |
聖観世音菩薩 |
住
所 |
三浦市三崎町諸磯234
046-881-2759(長善寺) |
P |
|
御詠歌 |
もろもろの願いをここに納めおき よろずのごふとここに止まる |
長善寺の兼務寺。江戸時代の宝永年間(1704~10)にすでに一向山長善寺の末寺となり、その後檀家も減って寺号を廃し、長善寺の境外御堂となっている。
|
|
番
外 |
龍徳山
()
光照寺
(こうしょうじ) |
|
宗
派 |
浄土宗 |
開
基 |
|
開
山 |
|
創
建 |
|
札所
本尊 |
聖観世音菩薩
(おてびき観音) |
住
所 |
三浦市初声町三戸2473
046-888-1921
|
P |
一般10台 |
鎌倉光明寺の末寺。三戸地域で行われるお盆行事「お精霊流し」は、県の無形民族文化財に指定されている。 |
|
札番 |
寺院名 |
朱印 |
巡礼情報 |