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清正公堂分院
長者町の清正公通りに常清寺と清正公堂が作られたのは、常清寺の創建となる1676(延宝4)年2月のこと。長者町は吉田新田の一部で、同年に吉田勘兵衛によって新田埋め立てが完成する以前は、入海であったそうだ。常清寺は、新田守護と諸霊供養のために吉田勘兵衛が創建したお寺なのだとか。戦災で寺が焼失後、1970(昭和45)年に常清寺の本堂が久保山に再建され、清正公堂は、地域開発のため、1978(昭和53)年に常清寺の本堂に移転となった。しかし、その後、長者町周辺地域住民からの強い要望があり、1998(平成10)年2月に、清正公堂分院として、長者町9丁目の初代吉田勘兵衛の住居跡に復興された。(2016/6) |