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駐車場完備。 |
【住所】館山市大神宮589 【電話】0470-28-0034 |
巡礼情報 |
【朱印時間】8:30〜17:00 【拝観料】境内志納 |
主
祭
神 |
天太玉命
(あめのふとだまのみこと)
- 忌部氏祖神 |
社
格
等 |
式内社(名神大)
安房国一宮
旧官幣大社
別表神社 |
創
建 |
神武天皇元年 |
本
殿
様
式 |
神明造 |
例
祭 |
8/10 |
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コメント |
古代・中世・近代において、3つの格式すべてに最上の社格を与えられている数少ない神社の1つ。白い鳥居があり、広い参道が続く。広い境内に、上の宮と下の宮があり、上の宮が本社、下の宮が摂社となっている。参拝した時間が夕方だった為、翌朝御朱印をお願いした。(2013/4/27及び28) |
一般的には「一宮」は1つの国に1つというのが原則だが、館山には安房神社のほかに一宮がもう1つある。「洲崎神社」である。2つの一宮が存在することになったのは、源頼朝が関わっている。1180年伊豆で挙兵した際、石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ辛くも逃げ延びた。頼朝が再挙を期して参拝したのが洲崎神社である。その後頼朝は、千葉常胤(ちばつねたね)などの協力を得て平家討伐を成功させ、見事願いを叶えることになるのだが、そのお礼に洲崎神社に「神田」の土地を奉っている。つまり洲崎神社は、頼朝からすれば天下統一の願いを聞き入れてくれた神様となる。戦国時代、安房の覇者「里見氏」もこの神社を尊崇していた。また、江戸城を築きあげた太田道灌は洲崎神社を勧請して、城の鎮守(今の「神田明神」の摂社八雲神社の前身)にしたと『永享記』(室町以後の東国情勢を記した軍記)に記されている。このようなことから、自然発生的に洲崎神社を「一宮」と呼ぶ風習が広まり、また江戸時代には松平定信が、「安房国一之宮洲崎大明神」と自筆した篇額を奉納したこともあり、本来は国に1つとされる一宮が、安房国館山には2つも存在することとなったのだとか。 |