石楯尾神社(いわたておじんじゃ)
「名倉の権現さま」とも呼ばれる。駐車スペースあり。 | |||||||||||||||||||
【住所】相模原市緑区名倉4524 【電話】0426-87-2928 | |||||||||||||||||||
巡礼情報 |
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コメント | 境内には御神木とされる夫婦杉がそびえる。二本杉を含む社叢が郷土景観的にも、学術的にも重要なものとして神奈川県の天然記念物に指定されている。残念なことに神職さんが不在だった。なお、石楯尾神社から上野原に抜ける道は通行止めだが、神社の少し手前までは入れた。(2012/9/27) | ||||||||||||||||||
今回御朱印を頂いた後、宮司さんと長時間お話しをさせて頂いた。山間部で氏子も少ない神社である事、奥様のお父さんが前任の宮司である事、戦火により記録が消失したため式内社と認められるまで大変苦労された事、2009年の火事や賽銭泥棒対応など、神社を維持する苦労について、シロカシワの奇樹、カエデの大木の伐採、ツクバネの木(5〜6月に小さい緑色の花を咲かせ、秋に羽子板でうつ羽をつけたような 実をつけることからつけられた名前)の事、神社の右側の崖の上から対岸に滝がある事、色々な話を聞かせてもらった。創建当初は今の場所より僅かに西方の、甲斐国との国境(現在の山梨県との県境)により近い位置に鎮座していたとのこと。三増合戦の禍を受け、永禄12年(1569年)社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失した。入口に有る随神門は500年前の寺の名残で、保存が大変とのこと。明治の神仏分離以前、この門は仁王門と呼ばれ、仁王尊が鎮座していたそうだ。現在の社殿は、この地に享保9年(1724年)に建築されたもので、明治6年(1873年)、社格制定に際し郷社となり、大正12年(1923年)、神奈川県告示第26号により、神饌幣帛料供進指定神社に指定、昭和23年(1948年)神奈川県神社献幣使参向神社に指定された。2009年2月の火事では、祖霊社と隣の建物が全焼したが、記念物は奇跡的に助かったとのこと。ご苦労も多いだろうが、 | |||||||||||||||||||
前述の通り、式内社としての石楯尾神社は諸説ある。桂川南岸に鎮座し、地形的には式社の可能性が高いことと、文化5年(1808年)と翌年に神祇官から献上された幣帛が今に残っており、実際の証明物としても論社の中で最古のものであるので、有力なのはこちらの名倉の権現様であるが、下記という諸説も。 ・石楯尾神社:相模原市緑区佐野川3448 ・石楯尾神社:相模原市南区磯部字中峯2132 ・諏訪神社:大和市下鶴間2555 ・諏訪神社:座間市入谷1-1568 ・諏訪神社:相模原市緑区大島594 ・石楯尾神社(鵠沼皇大神宮):藤沢市鵠沼神明2-11-5 |
近くの温泉 | 「やまなみ温泉」「東尾垂の湯」「秋山ネスパ」 | ||||
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