石楯尾神社(いわたておじんじゃ)

「名倉の権現さま」とも呼ばれる。駐車スペースあり。
【住所】相模原市緑区名倉4524 【電話】0426-87-2928
巡礼情報


石楯尾大神(いしだておのおおかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
護良親王(もりながしんのう)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
保食神(うけもちのかみ)
天村雲命(あめのむらくものみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
火産霊神(ひむすびのかみ)
埴山姫命(はにやまひめのみこと)
水波能売神(みずはのめのかみ)
菊理姫命(くくりひめのみこと)


式内社(小)
郷社

不詳 本殿
様式
神明造
8/26
札所 延喜式内相模十三社めぐり
旧来「エボシ岩」が礼拝対象であった。巨石信仰の岩と伝わるものが明治に入るまで当社の東方近辺にあったが、中央本線の鉄道建設工事の折に撤去されてしまったのだとか。また、この岩から見て当社は尾っぽの方(相模国の端であり、地形的には丘陵の端でもある)に位置するので、「石楯尾」と呼ばれるようになったとも言われているのだとか。応神天皇の御幸所で総産土神社として御造営があったとも伝えられ、天安元年(857年)、従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録にある国史所載社でる。延喜式では式内小社に列した延喜式内社。
コメント    境内には御神木とされる夫婦杉がそびえる。二本杉を含む社叢が郷土景観的にも、学術的にも重要なものとして神奈川県の天然記念物に指定されている。残念なことに神職さんが不在だった。なお、石楯尾神社から上野原に抜ける道は通行止めだが、神社の少し手前までは入れた。(2012/9/27)
今回御朱印を頂いた後、宮司さんと長時間お話しをさせて頂いた。山間部で氏子も少ない神社である事、奥様のお父さんが前任の宮司である事、戦火により記録が消失したため式内社と認められるまで大変苦労された事、2009年の火事や賽銭泥棒対応など、神社を維持する苦労について、シロカシワの奇樹、カエデの大木の伐採、ツクバネの木(5〜6月に小さい緑色の花を咲かせ、秋に羽子板でうつ羽をつけたような 実をつけることからつけられた名前)の事、神社の右側の崖の上から対岸に滝がある事、色々な話を聞かせてもらった。創建当初は今の場所より僅かに西方の、甲斐国との国境(現在の山梨県との県境)により近い位置に鎮座していたとのこと。三増合戦の禍を受け、永禄12年(1569年)社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失した。入口に有る随神門は500年前の寺の名残で、保存が大変とのこと。明治の神仏分離以前、この門は仁王門と呼ばれ、仁王尊が鎮座していたそうだ。現在の社殿は、この地に享保9年(1724年)に建築されたもので、明治6年(1873年)、社格制定に際し郷社となり、大正12年(1923年)、神奈川県告示第26号により、神饌幣帛料供進指定神社に指定、昭和23年(1948年)神奈川県神社献幣使参向神社に指定された。2009年2月の火事では、祖霊社と隣の建物が全焼したが、記念物は奇跡的に助かったとのこと。ご苦労も多いだろうが、
前述の通り、式内社としての石楯尾神社は諸説ある。桂川南岸に鎮座し、地形的には式社の可能性が高いことと、文化5年(1808年)と翌年に神祇官から献上された幣帛が今に残っており、実際の証明物としても論社の中で最古のものであるので、有力なのはこちらの名倉の権現様であるが、下記という諸説も。
・石楯尾神社:相模原市緑区佐野川3448
・石楯尾神社:相模原市南区磯部字中峯2132
・諏訪神社:大和市下鶴間2555
・諏訪神社:座間市入谷1-1568
・諏訪神社:相模原市緑区大島594
・石楯尾神社(鵠沼皇大神宮):藤沢市鵠沼神明2-11-5
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