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年間約3000万人もの参詣者が訪れ、「浅草観音」の名称で親しまれる都内最古の寺。 | |||||||||||||||||||||||||
【住所】東京都台東区浅草2-3-1 【電話】03-3842-0181 | |||||||||||||||||||||||||
巡礼情報 | 【納経時間】9:00〜17:00 【拝観料】境内志納 | ||||||||||||||||||||||||
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コメント | 「雷門(風雷神門)」と参道の商店街「仲見世」は観光スポットとしても有名。古くから定められている功徳日、7月9・10日の二日間に行われる「四万六千日・ほおずき市」は、浅草の夏の風物詩。境内に数十軒の羽子板の露店が軒を連ねる12月17〜19日の「羽子板市」や、2月3日の「節分会」も多くの人でにぎわう。機会がなく今回が初めての参拝。(2012/7/22) | ||||||||||||||||||||||||
三社祭(さんじゃまつり):浅草神社 かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。せっかくなので見学へ。それにしても凄い人出。江戸三十三箇所の御朱印も頂きたかったので影向堂へ行ったら長蛇の列。時間もあったので30分ぐらい並んで頂いて来た。(2014/5/18) |
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聖観音宗:元々は天台宗の寺院だった東京の浅草寺が第二次世界大戦後の1950年に独立して生まれた宗派である。観音菩薩を本尊として信仰している。 | |||||||||||||||||||||||||
表参道入口の雷門は、切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから「風雷神門」という。慶応元(1865)年に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたが昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート造で再建された。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものである。門内には松下電器産業(パナソニック)寄贈の大提灯があり、三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれる。風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年(1865年)の火災で焼失後、明治7(1874)年に補作。昭和35(1960)年の門再建時に補修と彩色が加えられている。門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53(1978)年に奉納されたもの。雷門から宝蔵門に至る表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世」と呼ばれている。 宝蔵門は、「仲見世」を抜けた先にある。入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。現在の門は昭和39(1964)年に再建された鉄筋コンクリート造で、鉄鋼王として有名な実業家・大谷米太郎(ホテルニューオータニも建設)夫妻の寄進によって建てられたもの。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用しているのだとか。 本堂は、本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20(1945)年の東京大空襲で焼失。現在の堂は昭和33(1958)年に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。内陣中央には本尊を安置する間口4.5メートル、高さ6メートルの宮殿(くうでん、「厨子」と同義)がある。宮殿内部は前の間と奥の間に分かれ、奥の間に秘仏本尊、前の間には「お前立ち」の観音像が安置される。宮殿の扉の前には「御戸張」と称する、刺繍を施した帳(とばり)が掛けられていて、時々デザインの違うものに掛け替えられている。毎年12月13日に開扉法要が行われ、短時間開扉される他、特別な行事の際などに開扉が行われる場合があるが、その際も参拝者が目にすることができるのは「お前立ち」像のみで秘仏本尊像は公開されることはない。宮殿の手前左右には脇侍の梵天・帝釈天像、宮殿の裏には秘仏本尊と同じ姿という聖観音像(通称裏観音)、堂内後方左右の厨子内には不動明王像と愛染明王像を安置する。 再建前の五重塔は慶安元(1648)年の建立だが、昭和20(1945)年の東京大空襲で焼失。現在の塔は本堂の西側、寛永8(1631)年に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48(1973)年に再建されたもので、塔自体の高さは約48メートルある。 重要文化財である二天門は、本堂の東側に東向きに建つ、切妻造の八脚門。元和4(1618)年の建築で、第二次世界大戦にも焼け残った貴重な建造物。この門は、本来は浅草寺境内にあった東照宮(徳川家康を祀る神社)への門として建てられた(東照宮は寛永19(1642)年に焼失後、再建されていない)。現在、門の左右に安置する二天(持国天、増長天)は上野の寛永寺墓地にある厳有院(徳川家綱)霊廟から移されたもの。 伝法院(でんぼういん、正しくは伝法心院)は、宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊である。小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園がある。一般には公開していないが、特別公開されることがある。平成23(2011)年、国の名勝に指定。 ご朱印を頂ける影向堂(ようごうどう)は、本堂の西側にある。平成6(1994)年の建立。堂内には本尊聖観音像のほか、鎌倉期の円派の様式を示す阿弥陀如来坐像等十二支の守り本尊である8体の仏像を横一列に安置する。影向堂の周囲には六角堂、橋本薬師堂、石橋などがある。影向堂の左に建つ六角堂(東京都指定有形文化財)は室町時代の建立で、小規模ではあるが、境内最古の建物である。堂内には日限地蔵(ひぎりじぞう)を本尊として祀る。石橋(国の重要美術品)はかつて境内にあった東照宮(徳川家康を祀る)への参詣用に造られたもので、元和4(1618)年、東照宮が勧請された際に建造された。東照宮自体は焼失後再建されていない。 その他多くの堂宇がある。浅草寺に祀られている大黒天は、俗にいう米びつ大黒として江戸以来市民の崇敬を集めている。 |
梵字+聖観世音 (キャ+せいかんぜおん) |
九尊仏 (くそんぶつ) |
大黒天 |
梵字+聖観世音 (キャ+せいかんぜおん) |
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近くの温泉 | 「水月ホテル鴎外荘」 | ||||
観光スポット |
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地酒・特産 |
(田村酒造場) (小澤酒造) | ||||
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左記で巡礼を開始しました。寺名・御本尊・御詠歌入りの坂東三十三ヵ所用納経帳です。 高級和紙を使用した三重折上製本で、ビニールカバー付き。 サイズは、横幅18cm×高さ25cmとかなり大きめなのがGOOD。(2012/1) |