福地山 修善寺
福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)

修善寺温泉街の中心。駐車場はない。
【住所】静岡県伊豆市修善寺964 【電話】0558-72-0053
巡礼情報 【納経時間】 【拝観料】境内志納
宗派 曹洞宗 開基 空海 開山   創建 大同2(807)年 本尊 大日如来
札所 桂谷八十八ヶ所(毎年11/7〜9開催) 札所 伊豆八十八ヶ所 88番
御詠歌 米の数うつす 四国の法の花 願いを結ぶ 桂谷の湯
本尊真言 おん あびらうんけん ばざら だどばん
コメント  修善寺温泉街の中心にあり、修善寺の地名の元になった。地名を修善寺(しゅぜんじ)、寺院を修禅寺(しゅうぜんじ)と呼ぶこともあるそうだが、正しくは両方とも「しゅぜんじ」と読む。創建後の約470年間は真言宗に属していた。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と云われ、『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院であった。その後、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。建長年間(1249〜1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って臨済宗に改宗された。蘭渓道隆は、南宋の理宗から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」という額を賜り、大陸にまで修禅寺の名を広めた。しかし、この寺額は1863年(文久3年)の火災で焼失。その後、康安元(1361)年の畠山国清と足利基氏の戦乱の被害を受け、更に1409(応永9)年の大火災で伽藍が全焼し、荒廃した。その後、伊豆一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、彼の叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させた。現在の本堂は1883(明治16)年に再建。
何度もこの前を通っているのだが、頼家祭りが開かれると言うことで今回初めて行ってみた。あれっ、命日は17日では? この祭りは、悲劇の鎌倉二代将軍『源頼家』と家臣『十三士』をしのぶ祭りとして毎年行われている。家臣である十三士を従えた頼家と妻・若狭の局、子・一幡にふんした行列が、頼家と十三士の墓を参り、温泉街をパレードするというものだ。この日は天候に恵まれ、厳しい日差しが照りつける中での練り歩きだった。(2012/7/16)
syuzenji
大日如来
国指定重要文化財
木造大日如来坐像:像内から1210(承元4)年に実慶が作ったと書かれた墨書が発見されている。

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